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  • 執筆者の写真馬原颯貴

テツガクするキカイ を終えて。

888企劃舞台作品第五回公演「テツガクするキカイ」

全8公演、無事終演することができました。

この公演を振り返ってみて、思ったこと、考えたことをつらつら述べようかと思います。

いつも通り、皆様にとっては蛇足に思える部分もあるかと思いますが、そこはご了承くださいませ。

ついでに舞台のネタバレをしているということも、加えて報告しておきます。


今回のお話は、マキノという男がガールズバーで昔の失敗談を物語る……というお話でした。

大きく三つの場面で構成されていて、それぞれ「山小屋」「EXAホーム」「自殺志願者たち」というくくりです。その合間に、ガールズバーのシーンが挟まれる、という構成。

ですがまず語るべきところは、「受付がイグザクトリィ・インダストリィに仮装している」という点でしょうか。

チケットは「入館証」と記載があり、当日パンフレットには「オフィスツアーへようこそ」との謎の文言。驚いていただけましたか?

「ハロウィンだし、世界観を出すためにこうしてるのね」と考えてもらえれば、実はそのこと自体が伏線だということには気づかれないのです。「イグザクトリィ・インダストリィ」という架空の企業の存在を先に周知しておくというところも、狙った効果ではあります。


さて、では話に移ります。

冒頭、とある男がバーカウンターに座ります。

ここもまず一つの問題です。全然後ろを振り向かない。カウンターに立つ女の子は顔がよく見えるが、男の顔がわからない。かつて演劇で「舞台が終わる直前まで役者が背中を見せ続ける」ということがあったでしょうか。まあ、どこかではあったでしょう笑いわゆる演劇論としての、「役者は背中を向けるな」を堂々と裏切りました。でもいいんです。このひと、演出家だから。というか、僕だから。ま、僕じゃなくてもやりますけど。

僕はそういうところを裏切って行きたいんです。いや、別にいいんですよ。僕の顔はパンフレットやチラシに載ってるんで。わざわざ見せなくても。なんてね。


その男の語る過去の回想。山小屋のシーンで、研究員の苦悩を描きました。

マキノはフジクラを庇い、自分がEXAを破壊したと言い張る。

イケハタはそんなマキノを正義感から叱責し、

カムラはギャグばっかり言っているお調子者かと思いきや、要所要所でシリアスな空気をはぐらかし、

フジクラは機械への愛情を吐露する。

それはみんなまともじゃない、普通じゃない心を持っていて、誰しもそれが普通だと思っている。

コモンセンス(一般常識)は人によって違うし、機械、ロボットへの考えも一人一人違う。

機械は人間になれない。そのことをみんな知っているのに、何故だかそれを追い求める。それは、人類共通のロマンでしょう。


EXAホームは、既存する「アレクサ」や「Siri」などの完成系、理想形なのかもしれません。

今回提示した二つのパターンは、機械が人間を支配するか、人間が機械を使役するか、というものでした。ちょうど良い(哲学的には《中庸》というべきですか?)とはなんなのか。

上演して、お客様から笑いが起こることがしばしばあったこのシーンですが、それを「笑い」と捉えられることが一番平和なのかもしれません。

僕は舞台上において、しばしば笑いを求めます。それは、フランシス・ベーコンの言葉、「本当に伝えたいことは冗談の中に隠すべきである」に秘められていることです。

「こんなこと有り得ないでしょう」「まさかそんなはずはない」そう思えている限りは、それを「非常識」と捉えていて、「あるかもしれない」と考えてしまえば、それは「やるかもしれない」という恐れに近づく。

笑えなくなる日が来ると、怖いですね。二つの意味で。


ちなみに、箱を開けるシーンはト書きには1行しか書いてありません。

大事なものを開封するとき、ガジェットオタクはそれを神聖な儀式かのように行う

ト書き通りには、なかなかならないものですねえ。


そして、自殺志願者たちの話。

僕は演劇中のダンスシーンに嫌悪感を覚えるタイプの人間です。なぜかというと「そこで踊る意味がわからないから」。そんな演出に、あえてチャレンジしてみようというのが今回の「ツイッターシーン」でした。

ツイッターのタイムラインというのは、それだけで一つの空間、もう一つの世界を表しているように思えます。その亜空間の世界で、人々の発言が錯綜する。検索により不穏なツイートが表示され、それは規制されて、より摩訶不思議な言葉たちへと変わって行く。「以下、規制された文言のオンパレード」。

この世界を作り上げるために、筒井康隆原作のアニメ映画「パレード」の有名な発狂セリフをモチーフにさせていただきました。

安寧と享楽の世界に旅立とう、今がその時刻

朗らかな安らぎは、ロープとリボンの放物線

アウシュビッツの基本形。空気と排気は味音痴

など、おおよそ理解しがたい単語たちを並べ立てることで、いわゆる「ツイッターの闇」のようなものを表現しました。


そして、最後のマキノの独白へと繋がります。

僕の言いたいことは舞台上で役が語ってくれたので、正直語ることなんてないんですが……。

最終的に、そのイデアに閉じ込めることができる、ということを実験として見させられていたのが来場者の皆様、つまり「オフィスツアーにご来場の皆様」だったわけです。最初に張った伏線ですね。あれを公開実験するなんて、なんてトチ狂った会社なんでしょうか。ちなみにイグザクトリィ・インダストリィの設定は今後も活用していくつもりです。888企劃SF作品三部作、なんて。割と、現実的な妄想ですが。


舞台の内容については、このくらいですか。これ以上は語るに落ちる、という気もします。今更何言ってんだって話ですけど笑。



が、一点だけ……。



僕は別に、興行的な広告としてあの事件を利用しようだなんて考えていません。それだけは、言っておきたい。

当然、被害者がいる事件だし、遺族の方も苦しんでいる。でもこの話を取り入れることを、僕は、やめられませんでした。

今語るべき、考え直すべき問題と思うのです。


これは言い訳ですが……。「戦争」は多大なる被害者が出た大いなる事件でしたが、それを語る作品はいくらでもあります。

かの事件を、それに値する、語るに値する事件だと感じました。だから作品に取り入れた。それだけのこと。大々的に広告に使うこともしていません。これは、全ての社会派作品に対するアンチテーゼです。

僕は戦争が嫌いです。みんな嫌いでしょう。が、戦争を客寄せの道具に使う作品はもっと嫌いです。それがテーマだということは、あとあと気づけばいいことなのです。その作品を見た人が、ふと想いを馳せるくらいがちょうどいいんです。


(この作品を見て、あの事件を思い出し、嫌悪感を覚えるなら、戦争をテーマにした数々の作品にも嫌悪感を覚えるべきです。風化とか、時期がとか、関係ない。嫌なことは、嫌なこと。それだけです。)


仮想空間閉じ込め系とあえて括るなら、そんな作品はいくらでもある。別に大した発想じゃない。よくある話です。僕は、脚本家の僕は、そう思う。

今回の作品は、多数の方から「世にも奇妙な物語っぽい」と言われました。なら世にも奇妙な物語を見ればいい。

でもそうじゃない。今回の作品はそれだけじゃない。そのつもりです。


善悪とは何か。虐待と父親殺し。機械が人間を支配するか、人間が機械を使役するか。人間の権利はどこに宿るのか。意識を、脳神経を、シナプスの働きをデータとしてコピーできた場合、そこに人権はあるのか。


稽古中、しばしば役者に問いかけました。

トロリー問題では、しばしば「一人を犠牲に五人を救う」ことが「正しい」とされますが、命の重さは本当に数字の多さで考えていいものなのか。

「一人」が家族で、「五人」が見知らぬ人なら。逆に、「一人」が見知らぬ人で、「五人」が家族なら。

臓器ドナーの話もしました。そしていろんな状況でこの問題が出されたらどうするかなど。

それを考えることこそが哲学なのだと、僕は思います。考えることこそ、哲学だと。

きっと役者も、スタッフも、もちろん僕も、全ての関係者がテツガクする事に、意味があるのだと考えます。

そう、もちろんお客様も。


つきましては今回の舞台が、人々が「テツガクするキカイ」になれたことを、嬉しく思います。


次回は「群読×合唱 混声合唱と群読のための……。」です。演劇ではありませんが、詩を元にした抽象劇になるかと思います。合唱とコラボして、いまだかつてない作品になりそうです。

それでは、また劇場でお会いいたしましょう。


11月11日 公演から一週間経った 馬原颯貴

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